びすたーらい、びすたーらい

”びすたーらい”とはネパール語で”ゆっくり”という言葉。そんな”ゆっくり”した国 ネパールの青年海外協力隊隊員の奮闘記

ワークショップをやっての決意。そして、次回へ…

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ナマステ!

 

以前、震災後わずか1ヶ月で行なったワークショップの裏話を書きました。

 

namura.hatenablog.com

 

今回はその続きを書いていきます。

※引用は当時のmixiの日記から転載です。

 

やたらにハイテンション

震災後一ヶ月という期間でやったワークショップは、大成功に終わりました。

 

なぜなら震災後一ヶ月の時点で、農業の今後について語るワークショップなど皆無で、東京の人もすごい関心を持ってくれたからです。

 

東京に住む私の友達とか沢山来てくれましたし、当日はすごく忙しかったんですが、すごく楽しかったのを覚えています…

 

いろんなアイデアが次々と出てきて、やたらハイテンションになっていたのが、当時の日記からもよくわかります。

 

さてさて、今後の「だべっ会」の展望ですが、
・定期的な開催(毎月か2ヶ月に一回はやりたい)
・場所も変える(東京・福島・仙台などなど)
・主催者も変える(郡山だったり東京だったり、はたまた学生だったり)
・名前も変える(良い名称募集中♪)

色々と出来る事は多そうですが、一度やっているので料理さえ何とかなれば出来そうな気がします。


今回のだべっ会の後、色々とお声がけを頂き、色んな事を頂く様になりました。
NPOバンク構想(ファンドを作り、原発の安全宣言後に野菜を送る証券を売り、その資金を農家へ融資し、再興後に農家から消費者へ野菜を送る)
福島県産版ぱれっと(らでぃっしゅぼーや看板商品の旬の野菜詰め合わせのこと。これの福島版を作って販売!)
・福島の農村交流イベント

などなど色々と出来そうな事が増えて、忙しくなりそうです。

自分を復活させてくれた福島・郡山のために出来る事をやる!
そう思います。

19.Apr.2011

 

今思うと、震災後1ヶ月の時点で出ていたアイデアは、福島県内ですべて実現しています。

 

もし、この時に会社を辞めて農業復興にコミットしていれば、少なくても食いっぱぐれる事はなかったし、私自身が「復興のキーパーソン」みたいな形で取り上げられる事もあったかもしれません。

 

結果的には、この時に会社員をやめる決断はしませんでした。

 

当時はフリーランスとかで食っていく自信が全く無くて、まだ会社員を辞める事が怖かったのかもしれません。 

 

 

 

2回目のだべっ会(ワークショップ)に向けて…

4月にワークショップ行い、なるべく早めに2回目のワークショップをやりたかったのですが、本業が忙しくなってきて準備を進められませんでした。

 

そんな中で言われた一言が、意外と重かった。

 

だべっ会をやってから、丁度1ヶ月。
そろそろ二回目を考えていきたいところ。

しかし、プログラムやゲストを含め完全に白紙状態。
この1週間くらいで言われた事は
「意外と2回目に踏み出すのが、最初よりかは躊躇する」ということ。
ベース(最初)を一度やってしまうと、それを上回ろうとして悩みすぎてしまう。

20.May.2011

 

まさしく、最初を上回ろうとして悩みすぎていました…

 

そして本業が落ち着いてきた7月に、2回目のワークショップをやろうと決め、ゲストやプログラムを決めていきます。

 

 

 そして震災後から、農業復興に向けて突っ走ってきた私自身がどんどん壊れていきます…

 先週から本気でモチベが上がらない。
このままだと俺自身が壊れてしまいそうだ。

本当にきつい。
この状況を何とか出来ないものか。

18.Jul.2011

 

思えば2回目のワークショップは、1回目に比べて人に頼らなかったのを覚えています。

 

今でもあるのですが「全部自分で決めて、全部自分で全部やる」という悪い癖が出てしまいました。

 

人に頼ろうにも頼れない。

それは他人を完全に信じられていないから、自分の意のままに動いてくれないと困るという自己中な考えが、自分の中にあるからなのでしょう。

 

そんな中で迎えた2回目のワークショップで事件が起こるのです…