びすたーらい、びすたーらい

”びすたーらい”とはネパール語で”ゆっくり”という言葉。そんな”ゆっくり”した国 ネパールの青年海外協力隊隊員の奮闘記

震災後一ヶ月で、なぜ風評被害のワークショップをやったのか?

ナマステ!

先日、「起業をするキッカケをつくった場所」として福島県郡山にあるNPOコースターを取り上げました。

 

namura.hatenablog.com

 

この中で2011年の東日本大震災後の1ヶ月にあたる4月に、東京でワークショップをやっています。

 

今回はこのワークショップをやった時の裏話を書きたいと思います。

 

が…当時の記憶があいまいなのと、資料がほぼ手元になく、おぼろげな記憶と当時日記をつけていたmixiからの転載になります。

もし、事実と違うことを記載していた際は遠慮なく言ってください。

 

 

 

 

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震災後5日後には、福島の農業がどうなるか考え始めていた。

当時の私の日記にはこう書いてあります。

そして、大きいのは風評被害です。
多分、津波の被害は設備を直せば(と簡単に言っていますが、本当に大変です。)なんとかなります。

しかし、風評被害は「買ってもらえない」という生産する側からしても、どうしようも無い問題です。
たぶんメディアは「福島第一原発」の名前で取り上げているので、「福島県産」の農作物にターゲットが絞られます。

岩手の知り合いと電話をしていて話になったのですが「岩手のスーパーは品薄だけど、福島産のリンゴだけあって他のリンゴはない」と言われました。
米・ブロッコリー・ネギ・キュウリ・桃・梨など福島県産というだけで容赦なく世間の冷たい目が襲いかかると思うとゾッとします。

3/17.2011 私のmixi日記(一部抜粋)

 

既に東北&北関東に変わる代替野菜産地作りが西日本で始まっているという話です。

こうなると最悪のパターンが頭をよぎります。

→農家が県外流出
→農家が戻ってきたときには他の産地で農作物が作れる様になる。
→作っても市場原理で価格が下落
(または農家のモチベが下がって廃業)

こうなるとどうしようもありません。

3/26.2011 私のmixi日記(一部抜粋)

 

 

当時から風評被害に対する危機感をものすごく抱いていたのと、働いていた農業資材の会社での仕事は苦戦続きだったのが、ここからも読み取れます。

 

そこで、当時顔を出していた郡山のコミュニティスペース「ぴーなっつ」で会ったWさん(東京在住)に風評被害に対する心配などを話した際に

「なら、再来週にでもワークショップをやろう!場所は俺が探すから…」と言ってくれて開催が決まりました。

 

この頃が4月頭か3月末だったように思います。

 

 

怒涛の忙しさ

 

ここからの2週間は、イベントの内容決めやフライヤー作り、広報活動、食材の手配などほぼ寝ないで過ごしたように思います。

 

最近、平日にも関わらずイベントの広報や資料作成&skype Mtgなどで寝不足気味です。
さすがに繁忙期の本業との二足のわらじはキツい。
更に朝から電話でのラジオ出演という慣れない事をしたお陰で、更に疲労感が増した様な

4/12.2011 私のmixi日記(一部抜粋)

 

ラジオ出演までやったんですね…

 

でも私は本業があったので、朝と夜しか時間が取れずにぴーなっつ界隈の皆さんに食材の下ごしらえを頼んだり、郡山から100Km近い南相馬まで朝5時からトマトを取りに行ってもらったりと、本当に動いてくださったと思います。

 

「だべっ会」という会の名前も時間がなくて、とりあえずつけた名前でした。

それくらい慌ただしかったけど、充実していた。

 

 

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当日、プレゼンターをやってくれたSくん

 

当日も朝5時起きで東京に乗り込んだのですが、よく覚えていません。

それくらい一杯一杯でしたが、私の友人を通じて多くの方に来てもらい、本当に嬉しかったのを覚えています。

沢山の方にサポートしてもらいました。

そして終わって、帰る頃には泣いていました。

 

 

皮肉にも震災で気付かされた事

なぜ泣いたのかというと、それまでの私は「農業バカで、一直線にしか考えられなくて、自信がなくて、人の気持ち考えない人」だと思って殻にこもっていました。

 

でも、ワークショップを人生で初めてやって、こんなにも沢山人が来てくれて、自分の周りの縁に凄い恵まれていることに、皮肉にも震災で気付かされたんです。

 

そしてこう思いました。

「いままで自分はダメなヤツで自信がないと思っていたけど、全然そんなことないんだ」

 

ところが、これから数ヶ月後 震災ならではのトラブルで人間不信に陥って、再び自分の殻に閉じこもってしまいます。

 

 

その話はまた次回で!

「最良であるか」とあるお菓子屋の考え方が凄い!

ナマステ!

ゆくゆくは会社を作るのであれば、優れた経営者の考え方をヒントにするのも大事なことです。

今日からは時々新シリーズとして、全国の優れた経営者やベンチャー社会起業家を取り上げます。

 

 

 

突然ですが、皆さんはお土産物好きですか?

 

 

実は私はあまりお土産物が好きじゃないんです。

会社とか家族とか持っていく相手がいるのであれば別ですが、自分にはお土産物は買わないことにしています。

 

 

なぜなら、私はローカル感のないお土産物が好きじゃないから。

 

地元である東北で言えば、岩手の「かもめの玉子」や仙台の「萩の月」が代表するお菓子ですが、実は東京でも買うことが出来ます。

 

特に好きじゃないのは「○○へ行ってきました!」シリーズ。私はローカル感のないものを買う人の気持ちが分かりません。

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お菓子を作る企業が、規模拡大を目指して色んな所に商談に行き、売上を伸ばそうとするのはごく自然の事

 

でも私は地元の銘菓は地元だけものだからこそ、価値があると思っています。

簡単に東京とかで買えてしまったら面白くない。

 

今日、取り上げるのは地元では有名なお菓子屋にも関わらず、県内でも買える所が少ないという菓子屋です。

 

 

 

 

 

原点は「最良であるか」

 

福島県会津にお店を構える「お菓子の蔵 太郎庵」は、会津地方に12店を展開している和菓子・洋菓子店です。

www.taroan.co.jp

この会社の面白いところは2点あります。

 

①県内でも購入できる所が少ない。

福島には「浜通り」「中通り」「会津」と3地方に分かれており、本州では2番めに広い県であります。

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県のすがたトップページ - 福島県ホームページ

 

「太郎庵」は会津地方にのみお店を持っており、おなじ県内でも郡山やいわきでは買うことが出来ないお菓子屋であります。

 

後述しますが、ここのお菓子は話題性のあるお菓子が多く、買いたくても会津まで行かないと買えないというのがある種の希少価値があります。

つまり、希少価値の切り売りをしないという姿勢がここからも垣間見れます

 

 

この事について、社長である「目黒督朗」さんはこう語っています。

20歳の時に、相馬愛蔵著の「一商人として」という本に出会った事が原点です。本の中では「一人一店主義」という考え方で、間口を広くして奥行の浅い生き方よりも、間口を狭くして奥行を深くする事の方が真に職業に忠実である、と教えて頂きました。

そして、将来お店をもったら、いたずらに形だけの大小にとらわれずに、その質を忘れない、一人一店主義でありたいと思いました。

今、12店舗になっていますが、今の範囲ならば、店主としての姿勢を保てるのではと考えています。
いかに大きくなるのかではなく、最良であるかが判断の全ての基準です。

社長あいさつ | お菓子の蔵 太郎庵 

 

闇雲に店を広げるのではなく、質を忘れない。

そのことが、ブランド(店)の希少価値を高めることにつながっているのかもしれません。

 

 

②名前が色々とぶっとんでいる。

ここのお菓子の名前がとにかくぶっ飛んでいます。

 

「きてくだされ」

野口英世の母が息子に当てた手紙の一文から名付けられたお菓子

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物産展に連れてって 3:勇者とその

私たちの想い - きてくたされ | お菓子の蔵 太郎庵

 

 

 

「ipie」

今は販売していないのですが、こんなぶっとんだお菓子も出していました。

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福島の老舗「太郎庵」から、世界に笑顔をもたらす全く新しいお菓子「iPie 6 Plus」登場 - ねとらぼ

 

他にも面白い名前のお菓子がたくさんあります。

www.taroan.co.jp

 

 

 

この会社の様に、話題性のある一風変わった商品を出しながらも、どこでも買える様にはしない。

お客様を引きつける上で大事なのは希少価値と、ローカル感

会社を経営するにあたり一番大事なことかもしれません。

 

 

 

起業するキッカケを作った場所

昨日、一昨日と私の起業に関する事を書いていきました。

 

namura.hatenablog.com

 

namura.hatenablog.com

 

就職をしてしばらく経った頃から、サラリーマンではない自由な人生の送り方をしたいと「ずっと」考えていました。

 

まさしく”びすたーらい”=”ゆっくり”とした生き方を…

 

そのきっかけとなった場所があります。

たぶん、ここに出会っていなかったら協力隊に行くことも、起業することを思い立つことも無かった場所であります。

 

福島コトひらく | NPO法人コースター

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(ホームページより引用)

 

 

NPO法人コースター」は福島県郡山市にあるNPOさんで、大震災からの復興支援やコミュニティスペースの運営をされています。

 

私がここと出会った2010年はまだ、ホームページの様な立派な建物は無く、空き家で「ぴーなっつ」という名前でコミュニティスペースのみをやっている団体でした。

 

何か活動をやっているわけではなく、当時20-30代の若者が集まって、ワークショップや飲み会を開いたり、時には遊びに行くという 何にも縛られない自由な場所でした。

 

ここと出会ったばかりの頃、私は郡山に転勤したてで知り合いとかがいなかったので、暇になるとちょくちょく顔を出していました。

 

ここの黎明期は、福島大学の学生や若者の就労支援をしている団体が手を組んで始めたので、どちらかというと会社員の仕事をしている人ではなく、社会起業家フリーランスが多いこともあり、そんな彼らから刺激を受けたのかもしれません。

 

そんな彼らの現在の活動をちょっと紹介します。

月3万円ビジネス | 仕事と暮らしを自分の手に取り戻そう

 郡山出身でぴーなっつにて店を持っていた方が、震災後に始めた小規模ビジネス

チームふくしまプライド。|福島ファンクラブストア

 震災後に郡山に移住した方が始めた、福島県産農産品の販売サイト

 この方はシェアハウス運営に、チャイルドラインという子どものための電話相談の立ち上げもされた。

田村市復興応援隊

 当時の「ぴーなっつ」のメンバーも多数勤めていた、田村市の復興応援をする組織

 

 

 

私もそんな彼らに触発されて、会社員をしながら「福島県産農産物の風評被害払拭」のために、ワークショップを東京で2回行ないました。これも「ぴーなっつ」なしでは出来なかったことであります。

 

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震災直後の2011年4月と桃の出始めにあたる2011年7月の2回に分けて行い、椎茸農家や福島の農業コンサルの方を呼んでやりました。

「会社員をやりながら、よくやったな」と我ながら思っています。農業に対する想いがないとここまでは絶対にできません。

今度、このワークショップの裏話でも記事にしましょうかね。

 

 

そんな彼らから触発され続け、彼らを見ている内に

「会社員という生き方をしなくても、こんなに自由でイキイキとした人たちがいるんだ!」

と思ったのが、今に繋がっているのだと思います。

 

 

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(今年2月に一時帰国して寄った時の写真 当時のぴーなっつの皆さんも多くいます)

 

 

今度は私が彼らを触発する番なのでしょう。

震災から7年目に入った今、ちょっとだけ停滞している福島のために刺激を与えられるような存在になる。それが起業をする理由の一つかもしれません。

なぜ青年海外協力隊から帰国後に、会社員に戻らないのか?

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昨日「私、起業します。」というタイトルで、青年海外協力隊からの帰国後に起業をする事を書きました。

 

namura.hatenablog.com

 

その中にあった

「もし帰国後に会社員に戻ったら、協力隊でやってきた2年間は無駄に終わってしまう」という想い

がきっかけで、帰国後に会社員になる可能性を捨てました。

 

その理由についてちょっとお話したいと思います。

 

 

理由① 協力隊の経験は必ずしも就職に有利じゃないから

JICAでは現職教員や現職公務員の参加など、会社を退職せずに参加できる仕組みを拡充して、なるべく会社に籍を残したまま参加することを推奨しています。

 

これは、帰国後にフリーターなど不安定な職につく帰国隊員が多かったので、こうした仕組みを作ったと言われています。

 

2年前に私が協力隊の面接を受けた際も、「民間でも会社がOKといえば現職参加ができるので、なるべく籍を残したまま来て欲しい」と強く言われました。

結局、会社の方で現職参加に対してOKが出なかったので、退職するしかなかったのですが…

 

帰国隊員の進路開拓支援などのサポートをしているのですが、国際協力分野ならまだしも、一般企業だと協力隊に行っていた事がプラスにはほどんどならず、遊んでいたのではないかと見てくる会社さえもあるそうです。

 

こうしたのを見ると、一度レールを外れて協力隊に行ってきた人の就職って大変なのかなと思います。

 

 

 

理由②  職に就かず、自分で仕事を起こせるネパール人を沢山見てきたから

ネパールという国は雇用がそれほどなく、中東やインド、韓国、日本に出稼ぎをして、国の家族に送金をしているというケースが多いです。

実際、ネパールのGDPの3割は海外からの送金で賄っているそうです。

 

そうなると…

 

自分で事業を始めるネパール人が本当に多くなります。

 

一例を挙げると

・ハイウエイ沿いでキュウリ10本だけ売っている農家

・奥さんの仕事ために100万円借金して、カフェを作った日本語学校の先生

・不動産業で年に1回取引成立したら、一年は食いっぱぐれないというフリーター

自分で仕事を作ろうという貪欲さがネパール人にはあります。

 

彼らを見ていると「もしかしたら物を売ったり、起業をするってハードルが低いのでは?」と思えてきたのです。

 

 

理由③ 協力隊の活動そのものが起業のようなものだから

協力隊の活動には様々あります。

「生計向上」「農業指導」「衛生改善」などなど

 

いずれの活動も、何も無い所から仕事を作ったり、計画を立てて進めたりと起業の準備運動のようなことが出来ます。

 

私は「生計向上」を活動にはしていないのですが、それでも目標を自分で決めて進むというのは起業そのものとも言えるかもしれません。

 

 

起業は思っているよりハードルが低い。

いかがでしたでしょうか。

これからの時代。会社員に戻るというのはリスクがあると思います。

思考を停止して、ひたすら働けばいいという時代でもなくなっていますし、自分で仕事を作って社会に貢献するほうがよっぽどやりがいがあります。

 

むしろワクワクしかしない。

 

そんな感覚は就職では絶対に味わえません。怖いですが、帰国後の絶好機を活かしてどんどん進めていきますよー。

私、起業します。

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突然ですが、青年海外協力隊から帰国後「起業」します。

 

ブログを放置して約1年が経ち、そろそろ「帰国後のこと」と「活動のこと」を両睨みしながら過ごす時期に差し掛かってきました。

 

久々に書くブログは、帰国してからに対する今の想いを書いていきます。

 

 

会社に戻ったら、この2年間は無駄になる。

私は7年間勤めた農業資材の会社を退職し、2018年3月まで青年海外協力隊員として参加しています。もちろん帰国後は無職となり、何かしらの仕事を探さなければなりません。

 

JICAでは帰国隊員の進路開拓支援などのサポートをしているのですが、多くの帰国隊員は就職という道を選ぶでしょう。

 

ですが、「もし帰国後に会社員に戻ったら、協力隊でやってきた2年間は無駄に終わってしまう」という想いがどうしても頭から抜けず、就職をするという選択肢は「ちょっと無いのかな」と思っています。

 

 

 

どういう起業をやりたいのか?

一番気になる起業の中身ですが、「こういう方向でやりたい」とは決めています。ただまだ具体的なプランまでは落とし込めていません。

 

方向性としては2つ。そして2つとも「農家さんのサポート」に関する起業を考えています。

 

 

①地域おこし協力隊の延長の様な仕事

青年海外協力隊と同じく、国が行っている「地域おこし協力隊」という事業があります。これに似たことを最初から地方で起業してやりたいです。

 

「地域おこし協力隊」とは 人口減少や少子高齢化が著しい地方において、地域外の人間を積極的に受け入れ、地域協力活動を行なってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに答えながら、地域力の維持・強化を目的とした制度です。

 

地域おこし協力隊ホームページ

https://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/about/index.html より

 

具体的にはどこか地方都市に住んで、その地域の特産品やプロモーションなどの仕掛けをやれればと思っています。

地域に埋もれているような隠れた特産品を発掘して、農家のサポートをしたいですね。

 

イメージとして…

私の知っているところだと、こんな所があります。

 

中小企業や事業者支援で最近、センター長に年俸1200万を払うと話題になっている「○○-biZ」

知り合いが一昨年、熊本県天草のセンター長をしていました。

ama-biz.jp

 

島根県海士町にある「巡の環」さん

10年程前に一度伺わせてもらいました。農業とかを抜きにしても持続可能性な地域づくりではここも有名です。

www.megurinowa.jp

 

 

 

 

 

②生産者から消費者までの流れをワンストップで提供できる会社

 

日本の農作物の流通で、生産者から消費者までをワンストップで結ぶ会社がちらほら出てきています。

 

イメージとして…

京都にある「坂ノ途中」さん

有機野菜の販売もされているが、「環境負荷の少ない小さな農業を実践する農家を増やす」を目指し、農家との繋がりを大事にする会社です。個人的に、一番注目してます。

www.on-the-slope.com

 

 

 

ズバリ!目指すは「坂ノ途中」さんのような会社です。

 

二番煎じだとは分かっているのですが、今後は農協の統廃合に伴うサービスの低下に伴い、農協以外へ出荷を希望される農家さんの受け皿が今以上に必要となることを考えると、二番煎じでも勝算はあるのではないでしょうか。

 

 

ダメだし・アイディア・協力者 大歓迎です!

まだ10ヶ月近くネパールに住んでいるので、帰国するまでにやれることは限られます。

いまやれることは起業の精度(具体性)を少しでも上げることです。

 

そのため、精度を上げるためには

「もっとこうしなきゃダメだ」という叱咤激励

「こういうことなら手伝えるかも」という協力してくださる方

が必要不可欠です。

 

私一人ではとても出来ず、皆さんのお力がないと決して上手くは行きません。

いつでもお待ちしています。

 

 

らしいこと

今日はとりとめのないことを書いているので、飽きたらテキトーに読み飛ばしてくださいな。

 

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昨日何気なくFacebookを見ていた時のこと

とある北の国に住む悪友が結構式を挙げている写真が、続々とタグ付けされていた。

 

最近Facebookで友達に結婚式のタグ付けされていることは珍しくなく、普通ならブログの記事にはしないのだが、この悪友に関しては違った。

 

もう10年近く会っていないけど、彼は今も昔も全く変わらずイケメン農家で頭の回転が早い。

農業のやり方も理論的で、徹底的に突き詰めて畑作をやっていく姿勢は、体当たり式でやっている私と反するものがあり、とても同い年とは思えず10年間勝手にライバル視していましたw

 

そんな悪友が結婚するということだけあって他人事の様に感じられず、思わずブログにしてしまいました。

 

協力隊に行く事は人の冠婚葬祭にはしばらく出れず、自分の身内の死に目に会えないかもしれないという覚悟を持って任国にきている。

そんな事分かっていても「おめでとう」と直接言いに行けない苦しさ

 

自分のことの様に嬉しいのですが、すっごい複雑な気分です。

でも帰国後、北の国へグムネ(旅行)しにいかねば…

 

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そんなことを昨日から悶々と考えている内に「30代最初の年であった今年ってどうだったんだろう」と、ふと思い立った。

 

「30歳になって、30代らしいことって何かやったんだろうか?」

あくまでも私の感覚ですが、30代らしいことは何一つやっていないと思う。

 

なぜかというと、会社員でだった1年前は上の方としか仕事をする機会がなかった。

それ以上に何かに怯えていた。

あの時は、自分の中に20代という感覚が存在しないくらい老けていたなぁw

 

それが協力隊に行くことで自分よりも若い人(精神的にも含む)と関わる機会が想像以上に増えたことで若干は老化にストップがかかったのだと思う。

 

私のイメージする30代って、もっと大人だったなー

こんなにイジられるキャラで30になるとは思ってなかったからなー

 

まぁ会社員やっていたときより100倍今の方が楽しい。

人間らしく生きているし、やり甲斐も凄いある仕事だなと実感しています。

 

 

でも30代らしい大人っぽい事もこれから少しずつ取り入れていこう。

まずは毎日の言葉遣い(一日の大半がネパール語ではどうにもなりませんが)と気遣いがもっとできる大人にならねばです。

 

日本は進みすぎている

バイジャナライ ナマスカール!(みなさん、こんにちは!)

 

最近、村を回っていて気になっている事があります。

それは「日本の農業は進みすぎていて、別に弊害が出ているのではないか?」という疑問

 

そう思ったきっかけは「ネパールの田んぼには雑草が少ない…」ということ

 

ネパールはअसार(アサール 6/15~7/15)という月に雨季に入り、田植えシーズンを迎えます。

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あちこちの田んぼに行くことがあるのですが、田んぼの雑草が少ないんです!

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ネパールの田んぼは手植えなため整ってない。

雑草が生えているんだけど、稲の生育を阻害するほどの雑草は見当たらない。

言っときますが、無農薬ですからね。ネパールは

 

 

 

ちなみに日本だとこんな感じ

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日本は田植機で整列しているように稲をキレイに植えている。

田植同時か田植えから数日後に除草剤を散布しているのだが、水の量やタイミングでどうしても残草が出てしまう。

日本の場合は除草剤を最低2回は使う。1回では全部抑えきれないからだ。

 

 

 

 

日本で除草剤を使わないと稲と雑草の見分けがつかないほど、大量の雑草に覆われる。

なのに、ネパールは除草剤を使わなくても大丈夫なのか?

 

私は日本では除草剤を使いすぎているのでは無いかと思っている。

 

日本も数十年前は当たり前のように手植えをしていた。そして手で除草していた

それが機械化と共に、手ではとてもできなくなり農薬に頼るようになった。

 

そこから、農薬と除草剤の抵抗をもってしまった雑草の闘いが始まったのだ。

進みすぎた農業ってこういうことなんだと思う。

 

 

 

ネパールの農家は日本の30年40年前の農家と酷似している。

牛を使って畑を起こし、牛の糞で肥料を使う。

 

この先、ネパールにも機械が出て来た時に果たして日本と同じ道を辿ってしまうのか?

 

そうなることが発展したとは必ずしも限らないから…